2016-03-11(Fri)
先日、東日本大震災5年を目前にした給餌保護活動を行いました。
前回(ニャンこの日)もそうでしたが今回も、ポンデの捜索に途中で入り
とってもバタバタでしたが無事終えることが出来ました。
2日間連続で 捕獲器を掛けているのにこの頃はまったく保護出来ずで残念なのですが
今は、気持ちも ポンデに集中してしまって、
二兎追うものは一兎も得ず 状態((+_+))
という事なのでしょうか?。。。
給餌は、普段 私以外誰も来てくれていないと思われる
富岡町帰還困難区域も
誰か来てくれましたのでしょうか?
ご飯の減りがとても遅かったです。
それとも野生動物が減ったのかもしれません。
前回回収したカメラで、 どうしても保護したい確認できた子がいて、
白猫さんで、もしかしたら うちにいた しらす の兄弟かなと思われる子。


※カメラの日付は設定してなくてめちゃくちゃなのですみません(・_・;)
今回も保護出来ず。
このお宅をずっと出入りしているキジトラさんは家に
この白猫さんは納屋にご飯を食べに来ている。
住み分けられていていい感じ(●^o^●)
この場所は、ご飯も充分残ってくれているので、飢えることは無くなったのですが
一日でも早く保護してあげたいのに思いは空回りするばかりです。

※二日目朝 霧が深くて不気味な感じで身震いしながら早朝から給餌活動

※猫達が日向ぼっこの寝床にしている窓辺も用意しているこの餌場の子達
このお宅の飼い猫さんたち
震災直後に散らばってしまったとしても
カメラにずっと映らないでも生きている子もいるし
他のポイントで、きっと生きている子はいるはずだと信じている。
とってもおいしいご馳走を置いてこの場を後にしました。
飼い主さんは5年が経ったけど、まだまだ探している子がいる。
5年という月日は本当に猫にとって20年以上
長いものだったことだろう。
生き続けている子達がいることも奇跡
人に忘れ去られていくこの子達のサバイバル生活は
いったいいつになったら終わるのでしょうか?
でもこの場所から出してあげられるのは人間だけ。
この地域に、新たに産まれている子もいるだろうけど、
もう爆発的に増えるのでもなくなっている。
数自体が減ってしまっていることに対しては、
気持ちとしては複雑でしかない。
救えたかもしれないのに救えなかった命がほんとうに沢山。
限界を超えてしまっている子達を
どうにかして、長期連続で保護活動をすることは出来ないのだろうか。
5年が経過して、理不尽な思いや やりにくい活動に葛藤しながら
そう願う日々なのです。


※大熊町 原発南側の川 ここを津波がさかのぼったのでしょうね。
橋の手すりはいまだ壊れたまま。

橋からは原発のクレーンや、汚染水貯蔵タンクが見えます。

※避難区域で綺麗に咲く梅の花
手入れさえされていればさぞ立派だったと思うお庭
このお宅はお庭が立派で盆栽もあるのだけど・・・

※五葉松かな?たぶん根付いて生き続けられたのでしょう。凄い生命力。
でもこっちは枯れてしまっている。

※丹精込めて手入れをしてきたと思われる植木の数々が枯れているのを見るのは
住民さんも本当に辛いでしょうね。
ハウスを突き破ったり、屋根を突き抜けたり、家の中に木々が生えてきたり。。。

※ラピュタ状態の建物がいっぱい。

※原発がすぐ見える場所の線量計は、なぜか長いこと、測定停止中と書いてあります。なんで直さないのか?
今、一緒にポンデを探しているつげ先生の奥さんは、
震災直後から被災地に入ってペットの救護活動をされていました。
私がこの5年間 見てきたものとほぼ同じものを見てきた奥さん
お話ししていて、懐かしいというのはおかしな感情なのですが
二人でポンデを探しながら、あんな事もあったこんな事もあったなんてお話ししていると
私自身も思い出したくない映像なんかが封印から解けたように思い出されて、
5年前 なんてひどいことが起きたんだと
もう一度 やり直せるのならと
あの時に戻れるのならと思ってしまいます。
でも実際は、震災当時に戻るのでは多くの命は救えないでしょう。
もっと前に、ペットとの同行避難をするように行政で話し合いがもたれてなければいけなかったわけで
福島の犠牲や経験は、教訓となり
今後、多くのペットの命を救うことになるだろうけど
あの子達を犠牲にしなくては、得ることの出来なかったものだったのかと
本当に悔やまれます。
人間は、可能性の話をしてもなかなか動こうとはしません。
本当に経験しないと解らないのです。
震災から5年が経ってしまいました。
まだまだ救い続けます。
この地域の動物たちが、今日は安らかに眠れるように祈って下さい。

この5年間の間に犠牲になった動物達が
幸せなところで生まれ変われますように。
にゃんだーガード シェルター長 代田岳美 2016.3.11記
前回(ニャンこの日)もそうでしたが今回も、ポンデの捜索に途中で入り
とってもバタバタでしたが無事終えることが出来ました。
2日間連続で 捕獲器を掛けているのにこの頃はまったく保護出来ずで残念なのですが
今は、気持ちも ポンデに集中してしまって、
二兎追うものは一兎も得ず 状態((+_+))
という事なのでしょうか?。。。
給餌は、普段 私以外誰も来てくれていないと思われる
富岡町帰還困難区域も
誰か来てくれましたのでしょうか?
ご飯の減りがとても遅かったです。
それとも野生動物が減ったのかもしれません。
前回回収したカメラで、 どうしても保護したい確認できた子がいて、
白猫さんで、もしかしたら うちにいた しらす の兄弟かなと思われる子。


※カメラの日付は設定してなくてめちゃくちゃなのですみません(・_・;)
今回も保護出来ず。
このお宅をずっと出入りしているキジトラさんは家に
この白猫さんは納屋にご飯を食べに来ている。
住み分けられていていい感じ(●^o^●)
この場所は、ご飯も充分残ってくれているので、飢えることは無くなったのですが
一日でも早く保護してあげたいのに思いは空回りするばかりです。

※二日目朝 霧が深くて不気味な感じで身震いしながら早朝から給餌活動

※猫達が日向ぼっこの寝床にしている窓辺も用意しているこの餌場の子達
このお宅の飼い猫さんたち
震災直後に散らばってしまったとしても
カメラにずっと映らないでも生きている子もいるし
他のポイントで、きっと生きている子はいるはずだと信じている。
とってもおいしいご馳走を置いてこの場を後にしました。
飼い主さんは5年が経ったけど、まだまだ探している子がいる。
5年という月日は本当に猫にとって20年以上
長いものだったことだろう。
生き続けている子達がいることも奇跡
人に忘れ去られていくこの子達のサバイバル生活は
いったいいつになったら終わるのでしょうか?
でもこの場所から出してあげられるのは人間だけ。
この地域に、新たに産まれている子もいるだろうけど、
もう爆発的に増えるのでもなくなっている。
数自体が減ってしまっていることに対しては、
気持ちとしては複雑でしかない。
救えたかもしれないのに救えなかった命がほんとうに沢山。
限界を超えてしまっている子達を
どうにかして、長期連続で保護活動をすることは出来ないのだろうか。
5年が経過して、理不尽な思いや やりにくい活動に葛藤しながら
そう願う日々なのです。


※大熊町 原発南側の川 ここを津波がさかのぼったのでしょうね。
橋の手すりはいまだ壊れたまま。

橋からは原発のクレーンや、汚染水貯蔵タンクが見えます。

※避難区域で綺麗に咲く梅の花
手入れさえされていればさぞ立派だったと思うお庭
このお宅はお庭が立派で盆栽もあるのだけど・・・

※五葉松かな?たぶん根付いて生き続けられたのでしょう。凄い生命力。
でもこっちは枯れてしまっている。

※丹精込めて手入れをしてきたと思われる植木の数々が枯れているのを見るのは
住民さんも本当に辛いでしょうね。
ハウスを突き破ったり、屋根を突き抜けたり、家の中に木々が生えてきたり。。。

※ラピュタ状態の建物がいっぱい。

※原発がすぐ見える場所の線量計は、なぜか長いこと、測定停止中と書いてあります。なんで直さないのか?
今、一緒にポンデを探しているつげ先生の奥さんは、
震災直後から被災地に入ってペットの救護活動をされていました。
私がこの5年間 見てきたものとほぼ同じものを見てきた奥さん
お話ししていて、懐かしいというのはおかしな感情なのですが
二人でポンデを探しながら、あんな事もあったこんな事もあったなんてお話ししていると
私自身も思い出したくない映像なんかが封印から解けたように思い出されて、
5年前 なんてひどいことが起きたんだと
もう一度 やり直せるのならと
あの時に戻れるのならと思ってしまいます。
でも実際は、震災当時に戻るのでは多くの命は救えないでしょう。
もっと前に、ペットとの同行避難をするように行政で話し合いがもたれてなければいけなかったわけで
福島の犠牲や経験は、教訓となり
今後、多くのペットの命を救うことになるだろうけど
あの子達を犠牲にしなくては、得ることの出来なかったものだったのかと
本当に悔やまれます。
人間は、可能性の話をしてもなかなか動こうとはしません。
本当に経験しないと解らないのです。
震災から5年が経ってしまいました。
まだまだ救い続けます。
この地域の動物たちが、今日は安らかに眠れるように祈って下さい。

この5年間の間に犠牲になった動物達が
幸せなところで生まれ変われますように。
にゃんだーガード シェルター長 代田岳美 2016.3.11記
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